自分の求めるものとは

なんか最近心の疲れを感じることが多い。

 

それは色々と行動して今までなかったことが起きているからだろう。

 

今までは仕事・勉強・ネットくらいしかやってなかったから、

心に刺激が全然なかった気がする。

 

今まで使わない部分に刺激が来ているから疲れたんだろう。

 

そうなったとき、なぜ疲れてもやるのかという話になる。

 

それは何もやらなかったら疲れなかったとしても何もないから、そのことを試験勉強を通じてなんとなく感じたからだ。

 

試験の結果は今までの一年のフィードバックだ。

 

それは採点者からのフィードバックというより、この世界・現実からのフィードバックという感じだ。

 

そこで落ちた、評価はされても不合格。

 

そこで、勉強だけやってるのもばからしくなって彼女でも作ろうと思ったら、

また打ちのめされた。

 

対人スキルのなさ、自分の知らない分野・状況の多さに愕然とした。

 

勉強よりもこっちを学ぶほうが先なんじゃないか、この年でこの状況はやばいんじゃないか、と思い勉強はほっぽって街コンとかクラブとかに行っているが、あまりうまくいっていない気がする。

 

正確に言うとゴールがきまってないのだ。

 

一応、お持ち帰りとか初対面に慣れるとか交友関係を増やすとか恋愛経験を積むとか仮のゴールはあるが、しっくりきていない気がする。

 

このゴールは行動の中でこそ見えてくるはずなので、仮置きの目標に向かって行動することは続けるが、行動だけではだめで、自分を見つめ内省する必要がある。

 

つまり、経験から何かを得られるかどうかはその人の努力や姿勢だし、何を得られるかもそうだ。

 

現実の暗闇に飛び込みそこで感じたことに理性の光を当て、認識しなくてはならない。

 

では、振り返りに必要なものは何か?

 

まずは行動、これでインプットとアウトプットができる。

 

でもこれはただの事実、解釈を加え認識しなくてはならない。

 

次はアウトプットを記憶すること。

 

日記や携帯のメモなどでやるとよいだろう。

 

そして、アウトプットに対する解釈。

 

これは、日記を書く中で思い描くことや他人の文章を読むこと、スワイショウなどで自分を見つめることなどによって、行われるがこのスタイルを自分は確立できていない。

 

一番大事なところなのに。

 

まあ、頭の中ではそれなりにやっているが、文字にして意味を固定することも重要だ。

 

文字にして失われるものもあるが、それはしょうがない。

 

 

つれづれに書きすぎてしまった。

 

最後に自分の求めるものとは何か、という問いに対して答えの候補を一つ上げて終わる。

 

それは自分への興味、喜ばしき自己解体の形だ。

 

自分とは自分では直接観察できないと思う。

 

だから、他人や現実の出来事での考えや行動から間接的に推し量るしかない。

 

また、それによって自分も変わっていくはずだが、それでも変わらない部分、それは自分の核であり、それことが自分の知りたい・求めているものなのだろうか。

 

よくわからないが、次回はもう少し具体的な状況とそれに対する考察を書いたほうがいいのかもしれない。