成長
今日、告白をした。
「あの、つきあいませんか」みたいなことを若干目をそらしながら言った。
相手の女の子はとりあえず時間をくれといっていたが付き合ってくれといったときは嬉しそうだった。
それは告白されて、誰かに自分が女として見られている嬉しさなのか、自分が好意を持った人に告白された嬉しさなのかはわからない。
前者の気持ちは大きくあるだろうが後者の気持ちがどれだけ大きいかで、答えは変わってくるのだろうか。
まあ、結果はともあれ告白を(最低な形かもしれないが)とりあえず出来たことはよかった。
前回みたく告白しようとしてできなくて自己嫌悪に落ちるより、たとえ振られてもすっきりした気持ち、自分が努力して成長できた気持ちがあったほうがいいと思う。
今まで、自分のOSみたいなものが完璧だったらどんなにいいだろうと思ってそれがほしいと思っていた。
でも、ある日いきなり完璧になりましたなんて言うのは無理で、本当は自分のOSを育てていきたかった。
でも、失敗が怖くて挑戦できなくて、誰かが教えてくれれば俺だってと思ったけど、そんな人はいなかった。
本当はいたのかもしれない。
でも、それすら自分から声を出さないと手に入らない。
俺は声を出せなかった。
自分が見限られたり、バカにされたり、見透かされたりするのが怖かったのか?
だから、ばれないように、バカにされないように、表面上を取り繕って、表面的にしか人と接しないことにした。
それはある程度成功してた。
でも、自分の心は救われなかった。
最近は失敗しても、バカにされても、拒絶されても、もちろん落ち込むし辛いけど何とか受け止められるんじゃないかと思い始めた。
だから、失敗を恐れながらも挑戦をして、自分のOSを磨き始めることができた。
たとえば、ラインのやりとり。
今年の初めははっきり言ってラインのやり取りがストレスでたまらなかった。
自分の世界に人が入ってくるような気がして。
だが今は、そこまで気にせずラインをすることができる。
これは動作に慣れたのか、自分の世界に相手を受け入れられる容量が増えたのか、構造はよくわからないが、成長できたと思っている。
本当は失敗してもいいから、いろいろなことに挑戦して、成長して、世界を憎まず、楽しめるようになりたかったんだろうなと思う。
それが、自分の殻を作って、その中で頑張って、限界がきて初めて殻の外の世界に目が行った。
殻の中で培ってきたものは自分の強みとして持っておくのがいい。
でも新しく外の世界でもまれて、色々と持って帰ることを続けたい。
今は、告白できたことに達成感と成長を感じている。
これから、どっちの返事が来ても挑戦が待っているけど、挑戦ができるようになればチャンスは数多くある。
運任せ、他人任せにしなくていい。
そのチャンスをどうしてもものにしないとと思い込まなくていい。
ある意味それは自由なのかもしれない。
挑戦は辛いが、それは幸せにつながるものなのかもしれない。