「暇と退屈の倫理学」を途中まで読んで

国分先生の「暇と退屈の倫理学」を途中まで読んだ。

 

内容は難しいが平易な書き方であり、面白く読めている。

 

内容的に印象に残ったのは。

 

本来性のない疎外(ルソー、マルクス

退屈の第二・第三態形(ハイデガー

環世界間移動能力(国分先生オリジナル)

の三つだ。

 

気晴らしと退屈が絡み合い一体となっている第二の退屈はネットしてるときとかによくある。

 

第三の退屈も西部先生の(ニーチェかもしれないが)「近代のもっとも不気味な来訪者」=「人間精神の奥底に巣食う癒しがたいもの」=虚無を思い出した。

 

というか同じことを言っているんだろう。

 

これも感銘を受けたが、一番役立ちそうなのは環世界間移動能力だ。

 

環世界はあるルールに従って閉じている一つの世界だろう。

 

職場・家庭・サークルなどでは、仮面をかぶるように発言や行動がほかの場所と少しずれるが、それはそれぞれが環世界だからだ。

 

しかし、動物は環世界を移動できるにしろ、人間ほどの能力は持たない。

 

そこを持って、国分先生は程度の違いがあるだけで動物も人間もそう変わらないとハイデガーを批判してるが、人間は、環世界が複数ありそれらを移動していると自分で自覚しているので、それを自覚できない(だろう)動物より一つ高いステージに立っていると思うのだが、どうだろうか。

 

ハイデガーほど人間を持ち上げる気はないが、やはり人間のほうが一枚上手という気がする。

 

 

ともかく、この環世界を実生活にどう生かせるか考える。

 

まず自分の環世界は何があるか(何にしたいか)。

 

仕事

人付き合い

哲学・社会学(心理学)

 

という3つがいいのではないか。

 

今まで、仕事という環世界が中心だったがそれを3つに広げる。

 

一つ一つへのコミットは減るが、代わりにシナジーが生まれ全体としてより充実できるのではないか。

 

あと、今の状況では仕事に注力するというのが馬鹿らしいというか、あんまり意味のない状態であることと、仕事だけだとよっぽど運がよくないと40・50歳以降にやることがほぼないとか、ルーチンワークだけみたいな状況になりそうで嫌だという背景もある。

 

人付き合いは最近始めたが確かに得るものが多い気がするし、なにより汎用的でそこが自分の好みだ。

 

しかし、汎用的な人付き合いというのはなく、どんな付き合いも個別具体的という事には注意しないといけない。

 

まあ、結局それぞれ適切に頑張ってゼネラリストっぽくなりましょうという事かな。