プライド
プライドが高いから普通はイヤ、でも実際は普通以下。
ではどうするか。
プライドを守りながら何もせず自分に言い訳をするか、プライドを捨てて現実を見て這い上がるしかない。
言い訳の先には何もないどころか、エネルギー或は失敗しても許される権利といった若さ(時間)がどんどんなくなっていくのでマイナスだ。
そこで一歩踏み出すことにした。
高石さんのセミナーを申し込んでから考え方が変わったように、ナンパのセミナーに行く。
そこで自分が変わるきっかけを作れそうなら、継続的なコースを申し込む。
おそらく、自分はこのコンプレックスをさらけ出せて共有できる仲間や師匠がほしかったのかもしれない。
コンプレックスを持っていると苦しい。
その悩みを共有したい、聞いてもらいたいし、他の人の同じような悩みを聞きたい。
それで心を開きたい。
前に一回そういうことがあったが、またすぐ心を閉ざしてしまった。
相手が心を開いてくれなかったからだろう。
先週のドタキャンは心に来た。
それは、自分が我流でできる限界(限界にしては浅すぎるが・・・)を感じたからだ。
相手の女の子を好きにならないと先に進めない気がした。
或は好きになる演技がうまくなるかだ。
この二つは方向が真逆で、前者は自分には無理だと思った。
職場の人とは恋愛したくないし、街コンで会った初対面のそんな可愛くない女の子を好きになるのはできない。
そうなると結局後者のほうに駒を進めることになる。
つまり、ナンパだ。
ちなみに仮にナンパがうまくなれば自分のプライドは満たされるような気がする。
苦手なものを得意に変えて、しかも普通の人はできないことだからだ。
ただ、ほんとは恋愛をしてその女の子と結ばれたいという気持ちもある。
というかそれができるのが一番だろう。
でも、今のままでは恋愛スキルが低すぎて相手を振り向かせることすらできないし、普通に過ごしてるだけではそんな人には出会えないかもしれない。
自分は能力主義者で、こと恋愛に関しても能力を軸に見てしまうところがある。
ナンパがうまくなる過程にはそのスキルと経験(その二つを合わせて「能力」)が詰まっている。
だから頑張れるかもしれない。
生来の気質にプラスして取り組む理由がいくつかある。
師匠の教えを乞い、仲間とともに目標に向かって行動する。
そうやって、コンプレックスを消して幸せになっていきたい。
勘違い
今日は俺がしていたいくつかの勘違いを書く。
一つは人生への姿勢について。
A・アドラーがいうには人生の課題は三つあり、「仕事」「仲間」「恋愛」がそれだとのことだ。
この三つをうまくできれば、負けはないらしい。
勝った負けたの次元を超えるということだろう。
逆にこれがだめなら負けて消えない(かもしれない)後悔を背負うことになるかもしれない。
俺は仕事にしか目が行ってなかった。
そこに向けて自分なりに頑張ってきてそこそこうまく行ってはいるが、満足できるようなレベルではない。
仲間というと部活の先輩・同期・後輩を思い出す。
最近は俺から距離をとっているような感じだが、つながりは切れないようにしたい。
そして、「恋愛」は俺が最も目を背け続け、そしてそのつけを今払っていることだ。
今まで、意味不明で生産的でないと思っていたが、その視点では不要でも人生にとっては必要だったということだ。
視野が狭く、勘違いをしていたということだ。
そして二つ目の勘違いは付き合うということについてだ。
女の子は内面を見てほしいし、相手が自分をどれだけ意識してくれてるか(優しいか)を重視しているということだ。
つまり、俺は相手の子をほんとに好きになるか、好きになったことを想像してやさしく接しなくてはいけない。
今まで、俺は相手の女の子をただの女の子として見ていた。
その子自身は見てなかった。
土日で会って、そこではいい感じだけど、平日を挟んで次の土日に会おうとしたらダメになるケースが多い。
それは、会ってない時にメールするなり電話するなりの行動がなく、俺が相手を特に思ってないと考えられてしまったからだろう。
ほんとに好きなら、もっと相手のことを知ろうとして、そして相手に自分のことをしてもらおうとして、連絡するし、直接会っているときもそういう態度が出るはずだ。
それが、恋愛ムードの正体なのかもしれない。
相手が好きで、その気持ちが現る雰囲気や行動。
書くと当り前な感じもするが。
今日は会う約束をすっぽかされた。
足が痛いとの理由だった。
俺は気遣うメールと次はいつ会えるかを聞いたが、返信は来ない。
気遣う部分だけでよかったのかもしれない。
おそらくベターな解決策は仕事が終わっただろう時間に電話して、心配していることを伝える。
そして、状況を聞きながら次の約束を取り付けること、だったのかもしれない。
相手はメールが苦手だし、心配したから電話したというのは不自然じゃない上に好感度もアップするはずだ。
それができなかったのは、メールの返信がなくて落ち込んでたのと、電話するのが怖かったからだ。
電話はあまりしたことがなかったから。
ともかく、俺の接し方は間違っていた。
これからは、相手の女の子自身に興味を持つ。
俺は気持ちが少しもないと演技はできないので、ほんとに興味を持つ。
そして、相手に干渉することをあまり恐れないようにする。
相手に忘れられないようにするには、たとえば毎日連絡をする必要があるとする。
であれば、毎日連絡をする必要があるから適当にメールを送るのではなく、相手のことを知りたいし自分にも興味を持ってほしいから送る。
そう考えると、どんな内容のメールをどんな態度で送るかが見えてくる気がする。
今まで女の子という概念を基準に行動していたが、それが根本的に勘違いしていたということだ。
相変わらず得ることは多い。
それと最後の勘違いだが、俺は今まで傷つくことが怖かった。
それは今でも怖い。
だから対人関係で踏み込んでこなかった。
しかし、これも傷ついて、回復して、心が強くなれば、傷つかなくなる。
ならば、傷つくことを恐れて逃げるより、一回傷ついて強くなって、傷つかなくなるほうがよかったのではないか。
実際、傷ついても強くなるとは限らないし、心が強くなっても辛いものは辛いだろうが、結局は程度の問題である程度傷つくほうが、結局は怖くないし傷もつかないということになるような気もする。
俺も最初はメールの返信がないとものすごく落ち込んだ。
今でも落ち込むが、その程度は最初ほどではない。
こういうことを繰り返して、戦ってきて人は成長していくのかもしれない。
であれば、自分の今まではなんだったのか。
後悔したくないと思って頑張ってきて、生産的なことだけをやりたいと思ってきたが、結局は自分を成長させることができなかったという言うことか・・・
悲しいな。
最後にアドラーの話に戻るが、人生には目標があり、人は自分の目標に沿って行動しているという。
俺の目標は何だろうか。
なんとなく人より優れている状態を目指している気がする。
それによって、自分を肯定したいのだろうか。
俺は能力主義的だからそうなのかもしれない。
自分には価値があると思いたくて、その価値があるという状態は能力が高いという状態であり、そしてそのことを他人から認めてもらいたいので、その能力は社会的にあるいは自分が所属する(したい)集団の中で価値のあるものでないといけない。
そうなると真っ先に思い浮かぶのは仕事だ。
仕事ができるならだれもが認めるはずだ。
あとは知識量、頭のよさ、話の面白さ、などなど。
思えば俺が今まで手に入れようとして努力してきたものばかり。
ある程度は手に入れているところから、その努力は叶っていた。
しかし、それだけが俺の望むものではなかった。
もっと俺はかけていて埋めないといけないところがある。
その最大のピースが恋愛。
これから埋めていかなくていけない。
彼女ができた・・・のか?
街コンに行って、カップルが成立した。
相手は20歳で付き合ったことがないらしい。
職場にも出会いがないとのこと。
ということで簡単には切られないと思うが、正直どうすればいいのかわからない。
会話のネタ、キスへの持っていき方、セックスへの持っていき方、会わない期間にどう相手とコミュニケーションをとるか、次にどのデートスポットに行くか・・・などなど。
一応手はつないでいるのでそこは進歩。
しかし、キスまで場合によってはホテルまで初日で行ってしまってもよかったかもしれない。
自分でブレーキをかけていた。
やっぱり俺は草食系というか回避性のパーソナリティなのか・・・
すべては勉強で、失敗してダメになってもいい。
でも、ここでキスをやるという第一目標、セックスをやるという第二目標、第三の目標としてある程度長続きする恋愛関係を作るということを達成したい。
いま、足りないところが多くてずいぶん焦っている。
いつまで失敗すれば、ある程度うまく恋愛できるようになるのかも分からない。
今まで、ばかにしてやってこなかったツケを払っているようで辛い。
しかし、確実に成長はしているし辛い時ほど行動すれば(結果はどうあれ)成長の幅は大きいと感じている。
つまり、まともな恋愛経験を、俺が一番ほしいものを今、手に入れようとしていると考えるべきか。
ともかく、相手は一人だがずいぶん時間と労力を使ってどうすればいいかを考えていかなくてはいけないと感じる。
頑張ろう、ここが正念場で、ここを超えれば人生も少しは楽しくなるかもしれない。
本日のセミナー
今日は催眠のセミナーに行ってみた。
趣旨は声・目・触ることを通じて相手をトランス状態に持ってくと言うこと。
当然自分も(自力で)トランス状態に入る。
効果は相手の感覚に強く影響を与えられること。
目で落とすということもできるかもしれない。
イメージは意識が一段深い場所に行って、景色が広くはっきりと見える感じだ。
やり方のイメージは最初のアプローチで相手に合わせて、一緒に沈めていくような感じ。
そのための訓練として、自分のトランス状態に入る練習をするといいかもしれない。
前やっていた腕を交差させて背骨を動かす運動を、一往復ごとに意識を一つ下げるという感じでやってみてもいいかもしれない。
もしかしてこれが恋愛ムード、エロムードを作る方法なのかもしれない。
すこしづつ(今さらではあるが)成長をしているかも
今日、告白した女の子からとりあえず友達でいてくれという話を受けた。
まあ、クリスマス用のキープ君かなとも思ったが、そういう話の際、「顔はすごい好み」と言ってくれたのはうれしかった。
というか、顔好みな奴に告白されて付き合わないんだと思ったが、そこは女子は顔だけで判断しないということなのだろう。
で、そこで恋愛する気分が起きないという話が出たのだが、それはおれがそういう話を避けていたからではないか。
つまり、過去の恋愛話や恋愛観、自分の好みなど、俺にはそんな経験もないし苦手だったので避けていた部分だが、もしかしてそういう話をしていい雰囲気というかボディタッチが自然と出てくるような空気感を作れるのではないかと思う。
最近街コンでカップル成立してもその先に行けてないのはその空気を出せてないからではないか。
とりあえず話を振るのもいいが、その前に自分の恋愛観とか経験(うまく作る)や好みなどを用意して話を振りたい。
ちなみにエロい話になれば(あしきれいだねとか)エロモードになれるかもしれないなと思った。
つまりこれからの目標はそういう会話をすること、そういう空気を出すことだ。
しかし、やはり行動すると(辛くもあるが)何かを得れて成長できる気がする。
こういう風に一歩一歩地道にやっていけば、ある程度女慣れして良い恋愛経験を積めるかもしれない。
まあ、これからも行動は続けていこう。
確率の世界へ
やはり恋愛は行動が主軸になる。
分析やテクニックは主軸があって初めて機能するもので、主軸がなければ何も積み重ねられない・・・
ということで、行動を起こすを阻害する最大の要因の「失敗を恐れる気持ち」を抑制するいい方法を見つけた。
それは、同時に何人かの女の子とつながりを持つということだ。
そうすれば、失敗があっても他で成功したりして、気分も落ち込みづらいし、失敗してもそもそも確率の問題ととらえてショックを軽減することができる。
また、ストレスをあまり感じず女の子に積極的に行くことができる。(通常よりは積極的)
ということで三人くらいと同時につながれたらいいのではないかと思う。
それをどのくらい深いつながりまで保つか。
誰かと付き合ったら残りを切るのか?
まあ、状況次第だが経験値を積むことから考えると攻めたほうがよさそうだ。
あと、自分は恋愛モードとか恋人モードとかがなくていつも友達モードの話し方しかできない。
だから話しやすい女の子と話して仲良くなることはできるが、それ以上行かない感じだ。
ここが根深い課題である気がする。
甘さ
告白した子から返信が来ない。
いつもすごく返信が早い子なので、これはふられたのだろう。
正直ショックだ。
結構あの子のことが気に入ってたんだなと気づく。
もっと早い段階で告白してればよかったかとも思う。
しかし、この気持ちは相手との関係を失って初めて気付くというものなのだろう。
水野さんのLOVE理論という本をキンドルで読んだ。
いい本だ。
テクニックがのっていて、使えそうで使えないほんとは違う。
目から鱗だったのはBTO理論だ。
理想が高すぎて、現実の恋愛経験値を高めることができずにずっとモテない状態が続くという悪循環がある。
そこで、好きでもない不細工な女とセックスをして、童貞を捨てる。
これはその通りだ。
「慣れ」こそが恋愛能力をもっとも高める効果的な手段・・・
そんなことはだめだ、愛がないとよくない、と思うやつもいるかもしれない。
でも、恋愛はたぶんきれいごとじゃない。
恋愛して、付き合わなければセックスしてはいけないとか、きれいごとが通るなら、こんなことにならないはずだ。
きれいごとで通らないから、26にもなってろくに恋愛経験もない俺みたいなやつがいるのだ。
恋愛ができない人には辛い時代かもしれない、そういう人は多いような気もするが。
正直、今まで俺はおごっていた。
自分は結構顔もいいし、そこそこ頭もいいし、金もあるし、スペックでは意外といいんじゃないかと思い、胡坐をかいていた。
モテるための努力をあまりせず、経験も積まず、俺は何様だったんだろうか。
ただのバカかもしれない。
まあ、バカはバカでしょうがないので、経験を積むために街コンで焦っている女の子なんかをうまくひっかけていきたい。
あとは、エジソンの言葉は支えになる。
いくらランクを落としたとしても、いばらの道になることが予想できる。
そこで、「失敗は存在しない。その方法が違うと分かっただけで、それは成功なのだ。」
正直、成功は言い過ぎだと思う。
望みの結果が得られたときにその言葉は取っておきたい。
でも、その方法が違うと分かったということは気付きで、それは経験でもある。
だから失敗じゃないんだ。
成功しなくてはと思っているが失敗してしまった人にはやさしい言葉だ。
そう思える。
同時に思ったことは、自分は意外とへこたれないということ。
そして、失敗を糧にするポジティブさも持っているような気がする。
今まで、自分を気遣いすぎて挑戦しなかった。
というより自分を信じられなかったのだろう。
でも、それは終わりにして、現実の世界でどんどん経験を積んでいきたい。
実はこの日記は三日連続で書いている。
何か気づきがあったということだろう。
つまり、行動して失敗したけど得るものも多いということだ。
もしかしたら、俺の求めている強さとは、こういう辛さを受け止めて自分の糧にしていくことなんじゃないか。
経験を積む、強くなる、そういうずっと自分がほしかったものを今積み上げつつあるのかもしれない。
もちろん失恋の悲しさを紛らわせるという心の作用もあるだろうが、ここで書いていることは本心で、間違っていないと思う。